名誉市民受称者
名誉市民とは
名誉市民は、我孫子市民又は我孫子市に関係の深い方で、社会文化の振興や公共の福祉の増進に寄与された方に贈られる称号です。
選考の際は選考委員会が設置され、議会の承認を得て決定されます。
これまでの受称者
上橋菜穂子(うえはしなほこ)
事績
昭和37年7月15日東京都に生まれる。
立教大学文学部史学科卒業後、平成5年同大学院博士課程単位取得(文学博士)。専門は文化人類学。現在は川村学園女子大学特任教授。
平成元年『精霊の木』で作家デビュー。平成26年には国際アンデルセン賞作家賞を受賞し、同年我孫子市民文化スポーツ栄誉章を受章。令和2年、『獣の奏者』の英語版で、プリンツ賞オナーと、バチェルダー賞オナーをW受賞するなど数々の文芸賞を受賞。
本市在住時にはさまざまな作品が生まれており、その巻末は「我孫子にて」と結ばれている。
我孫子第一小学校では、子どもたちに文学や郷土を学ぶ授業を行うなど、子どもたちのふるさとへの関心を高め、市の教育文化の振興に寄与されている。
青木功(あおきいさお)
事績
昭和17年8月31日現我孫子市に生まれる。
我孫子第二小学校、我孫子中学校卒業。昭和39年プロテスト合格。平成16年世界ゴルフ殿堂入り。平成20年紫綬褒章受章。平成25年日本プロゴルフ殿堂入り。平成27年旭日小綬章受章。平成28年一般社団法人日本ゴルフツアー機構会長就任。昭和58年に我孫子市民文化スポーツ栄誉章を受章。平成29年には我孫子市ふるさと大使に就任し、市民プラザでトークショーを開催。
母校の我孫子第二小学校や我孫子中学校では講演を行い、子どもたちの郷土愛の高揚に寄与されている。
がん・白血病の子ども達や東日本大震災で被災したこども達などへの寄付、熊本地震や九州北部豪雨の被災地への復興支援など、社会貢献活動に積極的に取り組まれている。
鈴木和喜(すずきかずよし)
推戴年月日
平成2年7月1日
事績
明治36年1月26日、現我孫子市に生まれる。
大正9年錦城商業学校を卒業、昭和22年我孫子町議会議員となり、連続4期16年間務める。この間、昭和34年に町議会議長に。昭和38年には我孫子町長に就任し、2期8年間在職。首都圏に位置する我孫子の将来あるべき姿をいち早く想定し、建設計画を樹立するとともに今日の我孫子市発展の基礎を確立。
昭和45年市制施行とともに初代市長となり、住民福祉や地域開発など市の発展に寄与された。
昭和53年3月9日 逝去
渡辺藤正(わたなべふじまさ)
推戴年月日
平成2年7月1日
事績
大正2年5月30日、現我孫子市に生まれる。
昭和13年慶応義塾大学を卒業、昭和38年我孫子町議会議員となり、連続3期8年間務める。この間、昭和39年から昭和45年まで町議会議長、市議会議長を歴任。昭和46年には我孫子市長に就任し、以来連続4期16年間の長きにわたり在職、首都圏のベッドタウンとして、急激な人口増となった当市の発展に貢献し、教育施設の整備、市民福祉の向上、生活環境の整備など、市の発展に寄与された。
平成11年2月22日 逝去
加瀬完(かせかん)
推戴年月日
平成2年7月1日
事績
明治43年1月1日、現匝瑳市に生まれる。
昭和5年千葉師範学校を卒業。昭和13年我孫子第二小学校長に就任以来、我孫子第一小学校長、我孫子第一中学校長を歴任。
昭和28年参議院議員となり、昭和58年まで連続5期30年間、国政に携わる。
この間、昭和52年には第14代参議院副議長に就任。国政にあっても、地域に奉仕することが政治家の最低条件であるとして、我孫子市を中心に幅広い活動を行い、市の発展に寄与された。
平成7年2月28日 逝去