おすすめ散策コース2
我孫子宿と白樺派の文人達を訪ねる(所要時間 2時間)
我孫子駅(南口)→山一林組工場跡→久寺家踏切跡→旧我孫子宿名主邸跡→回春堂跡→本陣跡→子之神道標・問屋場跡→大光寺→三樹荘跡→嘉納治五郎別荘跡(天神山緑地)→楚人冠公園→志賀直哉邸跡→我孫子市白樺文学館→バーナード・リーチ碑→文学の広場→血脇守之助碑→文学の広場→我孫子駅(南口)
山一林組工場跡
1906(明治39)年に建設された生糸工場。1925(大正14)年建立の「蚕霊塔(さんれいとう)」が残る。志賀直哉の作品「和解」に登場。1938(昭和13)年より石橋生糸。今は大型商業施設。当時敷地の一部であったその隣地には、我孫子駅南口東公園があり、史跡説明板や繭玉をイメージした車止めが設置されている。
旧我孫子宿脇本陣
江戸時代、小熊家は我孫子宿の問屋兼名主。1831(天保2)年建築で茅葺屋根の母屋。1665(寛文5)年以来の我孫子宿の人別帳、年貢などの古文書を保存。湖畔吟社の句会会場だった。敷地内は非公開。
三樹荘跡
柳宗悦(やなぎむねよし)の邸宅跡で、邸内の椎の三大木が居宅名の由来。居住は1914(大正3)年から1921(大正10)年。民芸運動の始祖・宗教哲学者。兼子(かねこ)夫人は声楽家。イギリスの陶芸家バーナード・リーチが邸内の窯(かま)で作陶。後に陶芸家河村蜻山(せいざん)も居住。敷地内は非公開。
嘉納治五郎別荘跡(天神山緑地)
講道館柔道を興す。東京高等師範学校長。明治の末に、天神山に別荘を構える。甥の柳宗悦(やなぎむねよし)を我孫子へ招く。IOC委員となり、1940(昭和15)年開催のオリンピックを東京に誘致するが、戦争で中止。白山に嘉納後楽農園を開く。
楚人冠公園
杉村廣太郎(楚人冠(そじんかん))住居跡。朝日新聞社幹部。記者・随筆家。俳句の結社 湖畔吟社(こはんぎんしゃ)を主宰。唱歌「牧場の朝」を作詞。1924(大正13)年から1945(昭和20)年没まで在住。河村蜻山作陶の楚人冠句碑がたつ。
志賀直哉邸跡
柳宗悦(やなぎむねよし)の勧めで我孫子に住む。 在住は1915(大正4)年から1923(大正12)年。武者小路や柳と親しく交流。「和解」 「暗夜行路」などの作品を生む。 当時の書斎を復元。 毎週土曜日と日曜日10時から14時一般公開あり(雨天除く)。
佐野力氏個人が建設した文学館。寄贈により平成21年度から市が運営する。白樺派作家の原稿、書簡、書画や、民芸運動に関わった人々の作品を展示。地階で柳兼子のCDが聴ける。
血脇守之助碑
我孫子宿旅篭(あびこしゅくはたご)「かど屋」加藤家に生まれる。高山歯科医学院に学び、歯科医師となる。後に同院の経営を引き継ぎ、東京歯科大学」に発展させる。野口英世を物心両面から援助する。
文学の広場
手賀沼ゆかりの文人(志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・ リーチ他)を紹介。斉藤茂吉の歌碑「春の雲かたよりゆきし昼つかた遠き真菰に雁(がん)しづまりぬ」。手賀沼公園周辺の観光地図も設置。
環境経済部 商業観光課
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