No.5 天神坂とバーナード・リーチ
かつて我孫子は「北の鎌倉」と呼ばれていたことをご存知でしたか?
その言葉を初めて聞いたとき、正直「いやいや、鎌倉は言いすぎでしょう……!」なんて思っていました。そんなある日、市民講座の一環で我孫子の歴史的な名所を巡る機会がありました。そこで初めて「天神坂」を訪れたとき「北の鎌倉」と言われる所以を垣間見た気がしました。
丸石と平石が敷かれた石段、鬱蒼とした竹林と樹木の間から差す木漏れ日。坂を登りきると眼下には手賀沼を望むことができます。
天神坂の左には民藝の父と呼ばれる柳宗悦の別荘(三樹荘)がありました。柳は英国人陶芸家・バーナード・リーチに「我孫子での君の仕事場も、窯を建てるための土地も用意できているし、君の作品をしまう棚すらもうできているかもしれない」と、我孫子での作陶を提案します。リーチは柳邸の庭に「乾山窯」を築き、1917から19年まで制作に没頭。世界的な陶工・リーチの足がかりを作ったのが天神山なのです。
その後、バーナード・リーチは、製造法すらわからなくなっていた英国の古陶スリップ・ウェアを復活させ日本に広めたことでも知られています。晩年リーチはこの我孫子で過ごした年月を「人生でもっとも幸せで充実していた」と語ったとか。
柳やリーチらが見たであろう天神坂からの景色をぜひ一度、眺めてみてはいかがでしょうか。
文:寺田さおりさん