日秀西遺跡
日秀西遺跡は先土器時代から縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代までの長い期間に及ぶ複合遺跡です。
現在は千葉県立特別支援学校の敷地になっています。
1978年(昭和53年)県立高校建設に伴い事前に発掘調査が行われました。
主な遺構としては、縄文時代住居跡が2軒、弥生時代住居跡が2軒、古墳時代住居跡が188軒、奈良時代以降の建物跡が54棟が検出され、古墳時代以降に生活の跡が集中することがわかりました。
古墳時代の住居(竪穴式)はほとんど7世紀に営まれていたようです。
これは一般の人たちが生活していた住まいの跡と考えられます。
8世紀を境にして住居の跡は見られなくなりかわって大型の掘立柱の建物の跡があらわれます。
発掘調査の範囲で出てきた建物跡は倉庫ではなかったかと考えられています。
出土遺物
和同開珎銀銭
相馬郡衙正倉想像図
古代の行政区分では全国を六十余国に分け、さらに各国をいくつかの郡に分けていました。郡は税の徴収、戸籍の編さんなど、いわゆる「律令政治」の基礎をになっていたのです。上の絵は日秀西遺跡で発見した遺構をもとに、当時我孫子が属していた、下総国相馬郡の郡衙でもっとも重要な倉=正倉の様子を描いたものです。
その他の時代
日秀西遺跡は複数の時代が重なった遺跡です。他の時代の様子については下の時代をクリックしてください。