布佐余間戸遺跡(縄文)
東西に長い我孫子の台地の東端に位置していました(消滅)。現在の布佐平和台3丁目付近にあたります。
1979~80年(昭和54~55年)に発掘調査が行われました。
縄文時代草創期・早期と古墳~平安時代の複合遺跡です。
縄文時代の遺構は炉穴と土坑が見つかっています。
出土遺物
深鉢(草創期)
多縄文系
口径:17.6センチメートル
高さ:15.5センチメートル
底径:6.8センチメートル
多縄文系土器とよばれる縄文時代草創期後半の土器です。
我孫子市内で出土した土器の中ではもっとも古いものと考えられます。
土器の表面には縄文が施され、口唇部には刻みが施されています。
深鉢(早期)
田戸下層式
口径:33.8センチメートル
高さ:36.0センチメートル
土器の底が尖っているため、尖底土器と呼ばれます。地面に突き刺すようにして立てていたようです。
その他の時代
布佐余間戸遺跡はいろいろな時代の遺跡が重なっています。各時代の様子については下の時代をクリックしてください。