テーマ展示「寄贈資料展」
展示概要
この展示では、杉村楚人冠主宰の俳句結社「湖畔吟社」の一員だった新保家寄贈の資料をはじめ、楚人冠と関わりのあった人物のご遺族から寄贈された資料を紹介しました。
本展示をとおして、楚人冠や陶芸家・河村蜻山、また、我孫子の人々の繋がりを感じられます。
展示期間
令和4年5月21日(土曜日)から7月10日(日曜日)まで
展示内容
1 陶芸家・河村蜻山
河村蜻山作 置物(鳩) 新保家寄贈
河村蜻山(本名・半次郎)は、大正から明治にかけて活躍した陶芸家です。
陶器は生活に必要な「道具」との認識が強かった時代に、陶器は美術作品であるという考えを持ち、それを広めるために尽力しました。
そんな蜻山は、昭和13(1938)年に我孫子に移住し、「深草窯」を築き、昭和29(1954)年までの16年間、この我孫子の地で作品制作に励みました。
2 俳人・有地紫芳
河村蜻山画 有地紫芳賛 色紙 新保家寄贈
有地紫芳(本名・健祐)は、東京朝日新聞記事審査部で楚人冠の部下として働いていた人物です。
紫芳は俳味に富んだ生活を送っていたようです。楚人冠はそんな紫芳を尊敬していました。俳句仲間からただ一人、紫芳にだけ声をかけて湖畔吟社の句会に招待をしていたほどです。
3 楚人冠句碑の手ぬぐい
杉村楚人冠書 河村蜻山画 手ぬぐい 新保家寄贈
「筑波見ゆ/冬晴の/洪いなる/空に」は、楚人冠の遺墨です。この遺墨は、楚人冠の七回忌に蜻山が製作した楚人冠の句碑に使われました。
この手ぬぐいは、その遺墨を中央に染め、さらに上下に椿の柄をあしらったもので、句碑と同時期に制作された記念品です。
4 骨折療養中の楚人冠
楚人冠(左)と永田のセガリ(右) 吉田尚彦氏寄贈
楚人冠は昭和9(1934)年、に八幡平(岩手県・秋田県)周遊の途中に落馬し、骨折してしまいます。そのため、療養を余儀なくされました。
当時、骨折した楚人冠の治療にあたった人物が、「永田のセガリ」と呼ばれる、接骨師の免許を持たない民間の骨接つぎ術の伝承者でした。楚人冠は彼を厚く信頼しており、経過観察をしてもらうため、八幡平から我孫子まで呼び寄せるほどでした。
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