我孫子市制50周年・我孫子を知る1年企画「寄贈資料展 楚人冠と湖畔吟社」
期間
令和2年6月9日(火曜日)から9月27日(日曜日)まで
概要
我孫子市制50周年にちなみ、教育委員会の「我孫子を知る1年」シリーズの企画として、市民の方から寄贈いただいた資料を集めた寄贈資料展を開催しました。
杉村楚人冠の影響を最も強く受けた我孫子の人々といえば、俳句結社湖畔吟社の会員たちです。このため、我孫子市教育委員会には会員の所縁の方からご寄贈いただいた資料が多くあります。この展示を通して、楚人冠と湖畔吟社の結びつき、俳句文化の継承にスポットを当てました。
河村蜻山と有地紫芳
河村蜻山作 灰落とし
湖畔吟社に客員として参加していたのが、当時我孫子に住み、作陶に励んでいた陶芸家河村蜻山です。
河村は会員の青年たちと親しく交わり、頼まれて作品を焼くこともあったそうです。
この作品はその中でも、主要な会員の一人であった小熊甚左の郵便局長就任を祝い、会員たちが我孫子の城山付近でとってきた土を持ち込んで、焼いてもらったものだということがわかっています。
湖畔吟社と河村の交流の証です。
なお、城山は現在の国道6号線の並木付近です。
河村蜻山 画 有地紫芳 賛 色紙
杉村楚人冠が交流を持った俳人たちは数多くいますが、そのなかでただ一人、楚人冠が湖畔吟社に呼んできたのが、有地紫芳という人です。東京朝日新聞では楚人冠の部下でしたが、俳人として楚人冠が尊敬していた人です。
この色紙は河村蜻山の書いた徳利の絵に、有地が賛をつけたものです。湖畔吟社は我孫子の青年たちと、河村、有地という文化人を結ぶ場にもなっていたのです。
楚人冠の遺墨
うちわ 楚人冠 書「一貫の身と膝たたく裸かな」」
「先生」と慕っていた杉村楚人冠に揮毫してもらった遺墨を、会員たちは大事に所蔵していました。
これもその一つですが、揮毫といえば紙や絹に書いて、軸や額、色紙として飾ることが多いなか、うちわに書いている珍しいものです。
書かれているのは楚人冠の俳句です。
「一貫の身と膝たたく裸かな」
継がれていった文化
句集「吾亦紅」
杉村楚人冠の没後、湖畔吟社には活動が中断した時期がありましたが、その間も東京の俳句雑誌に投稿活動をする会員や、自分で俳句集をつくる会員がいるなど、文化は継承されていきました。今回は寄贈資料から、その時期のものも展示しました。
画像はその一例で、天王台駅前にあった荒井書店で発行した句集「吾亦紅」です。この活動が湖畔吟社再開に結びついていきました。
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