企画展「楚人冠と俳人たち ~ホトトギスから湖畔吟社まで」
展示概要
俳人としても知られる杉村楚人冠ですが、特定の師匠を持たず、時に自分は俳句がわからないと公言するなど、少し変わった俳人でした。そのかわり、俳句を通して多くの人と交流したことが特徴です。
そこで、俳句をとおして楚人冠と交流したさまざまな俳人たちを資料をとおして紹介します。
展示期間
平成30年3月6日(火曜日)から平成30年5月13日(日曜日)まで
1 杉村楚人冠の俳句
楚人冠書 掛軸
楚人冠の青年期の俳句ノートから、老年期に句碑のために書いた俳句の掛け軸まで、俳句を知らないといいながら独学で俳句を楽しんでいた様子がうかがえます。
2 ホトトギスの俳人たち
高浜虚子書 短冊
楚人冠の時代に主流を占めたホトトギスの俳人たちから、高浜虚子、永田青嵐、赤星水竹居、水原秋桜子、山口青邨の作品を紹介しました。なかでも、虚子の短冊の句「沼べりの寒さを愛したりけんか」は、楚人冠の七回忌の年に建立された句碑の除幕式に献句されたものです。
3 独自の道を開いた俳人たち
飯田蛇笏 葉書
ここでは、自ら主宰していた俳誌に、楚人冠の投句をもらったことのある二人の俳人を紹介しました。郷里の山梨県で俳誌『雲母』を主宰し俳句に励んでいた飯田蛇笏と、新傾向俳句の大須賀乙字の流れをくみ俳誌『草上』を主宰した伊東月草です。どちらも、楚人冠の投句に感謝する内容の手紙が残っています。
4 楚人冠の道を継ぐ 湖畔吟社
句集『湖畔吟』
楚人冠が主宰し、我孫子の青年たちと俳句を楽しんだのが湖畔吟社という俳句結社です。湖畔吟社の活動は現在まで我孫子で引き継がれています。楚人冠の時代の資料に加え、現会員の作品も展示して、湖畔吟社の歴史を感じていただける展示としました。
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