テーマ展示「てがみ展 我孫子に集った人びと」
明治の終わりから昭和はじめにかけて、我孫子には手賀沼の風光を求めていろいろなひとが集いました。
杉村楚人冠宛に出されたてがみを通じて、どんな人がいたのか紹介します。
展示期間
平成31年1月16日(水曜日)から平成31年3月10日(日曜日)まで
展示概要
嘉納治五郎
嘉納治五郎書簡
平成31年の大河ドラマに登場することでも話題の嘉納治五郎。
我孫子に別荘を構えて以来、地元の人々と交流し、我孫子の発展のために行動しました。
手賀沼を「安美湖」と表現したてがみがあり、嘉納が我孫子に求めた環境をよく表しています。
初公開のてがみ二通を展示しました。
村川堅固
村川堅固書簡
嘉納治五郎が熊本の第五高等中学校で校長を務めていたとき、生徒として在籍していた村川堅固は西洋古代史学者として日本の西洋史研究に大きく貢献しました。その村川も我孫子に別荘を構えています。
嘉納、村川、そして杉村楚人冠らは手賀沼干拓反対のため協働し、村川は庭園協会の視察を招致して、自然公園として手賀沼を生かす道を探りました。
大谷登と三谷一二
大谷登書簡
「文士村」と称される我孫子ですが、実は多くの実業家も別荘を構えていました。
その代表格といえるのが日本郵船社長の大谷登と、三菱鉱業会長の三谷一二でしょう。
若いころは海外赴任を経験した二人も、重役になり転勤の心配がなくなると、リフレッシュの場を我孫子の別荘に求めたのです。
楚人冠が誘った二人
藤蔭静江書簡
楚人冠が便宜をはかって、自分の土地に別荘を建てさせた友人が二人います。
英字新聞を主な舞台に活躍したジャーナリストの頭本元貞と日本舞踊家の藤蔭静江(のちの静樹)です。
藤蔭は楚人冠邸の様子を「仙家」と表現しており、風流人の目にもかなう我孫子の様子をうかがわせます。
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