春季企画展 杉村楚人冠我孫子移住100周年記念展示「我孫子で暮らそう―我孫子を愛した楚人冠―」
令和6年3月5日(火曜日)から6月30日(日曜日)まで
杉村楚人冠が一家をあげて我孫子に引越しをしてから、今年で100周年を迎えます。
今回の展示では、楚人冠が我孫子に出会って移住をするに至った経緯や、我孫子での暮らしの様子を、彼の愛用品や随筆をもとにご紹介しました。
展示内容
1 我孫子の楚人冠邸
楚人冠が我孫子を知ったのは、明治44 年(1911)39 歳の時、手賀沼東部(布瀬村、現在の柏市)で盛んに行なわれていた鴨猟の取材がきっかけでした。
最初は我孫子を別荘としていた楚人冠でしたが、関東大震災をきっかけに、我孫子に移住をする決意を固めました。家を建て引越しをするまでの「ごたごた」を、楚人冠は随筆『湖畔吟』に書いてくれています。
2 手賀沼と楚人冠
楚人冠が我孫子の景色の中で一等愛したのは、やはり手賀沼でした。
洪水対策や耕地拡大のため、楚人冠存命中2度の干拓計画が持ち上がった手賀沼。その計画に異を唱え、広大な手賀沼を守ったのは、楚人冠だったのです。
3 ゴルフを嗜む
楚人冠はゴルフが大好きでした。昭和2年(1927)、55 歳の時にゴルフを知ってから、楚人冠はゴルフにのめり込みました。
楚人冠のゴルフ好きはとどまるところを知らず、我孫子ゴルフ場(現在の我孫子ゴルフ倶楽部)や柏ゴルフ場(現存せず、現豊四季台団地)といったゴルフ場の建設にも関わるほどでした。
4 楚人冠の愛用品
ジャーナリストとして必要不可欠であった万年筆やインク、楚人冠のトレードマークでもある眼鏡など…楚人冠の愛用品を一挙ご紹介!
ぜひ、愛用品を使用する楚人冠を想像しながらご覧ください。
ウォーターマン社の万年筆
篠崎インキのライトインキ
楚人冠眼鏡コレクション
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