講演会「水辺の環境変化と生活変化」
平成26年11月24日に開催された講演会の要旨を紹介します。
開催概要
期日 平成26年11月24日(月曜日・振替休日)
場所 生涯学習センターアビスタ ホール
講師 秋山笑子さん(千葉県立中央博物館)
講演要旨
近年、日記研究が盛んになってきているが、従来は著名な人が書いた日記が研究対象となることが多かった。日記研究が盛んになった一因は、市町村史をつくるなかで庶民の日記が注目されるようになったことにあると思われる。我孫子市史近現代篇別冊の『増田實日記』はその先駆けであったといえる。
我孫子の大きな特徴は都市の近郊であること、利根川・手賀沼を抱える低湿地であることである。寛政元年、手賀沼の鷹場の規制が解かれる。手賀沼の人々は江戸にウナギや水鳥を輸送することにより現金収入を得るようになる。このように手賀沼と都市との関係が江戸時代からできあがっていたのが、この地域の特徴である。その条件のもとで人々が生活戦略を練って、変化への対応をくり返してきたことを考えると、増田實日記はこれからの我孫子を考える上で重要な資料であるといえる。
増田實は自らを「貧農」といっている。「貧農」の心のうちを克明に記したのが實の日記の特徴といえる。實の青年期は立身出世を夢見ながら急な養子縁組に悩み、婿養子期には慣れない畑仕事に挑みつつ多くの不満を抱えている。それが分家すると一家の長として農業を営むようになり記述が変わる。そのなかで畑作と行商へのシフトを行っていく。その後中断を挟み、亡くなる前の二年間だけ日記を書く。中断していた期間は忙しいこともあっただろうが、書く必要がなかったのではないか。それ以前の時期には自分が自分をなんとかしたいという思いを、日記に書くことにぶつけていたように思われる。
鳥猟の権利を持つ亀成で育った青年期に、實はカモの不猟と安値に悩み、隣の発作では新開地で収穫した米を高く売ったと評価する記述がある。沼を開墾する動きが強くなっていく状況がわかる。日秀に移った婿養子期には新しい精米の方法を取り入れない人々に批判的で、新しい時代に合わせ変えていこうとする實の気持ちが書かれている。
分家期に表れてくるのが井上二郎による開墾事業である。これに参加して自分の農地を獲得していく。この頃から自分が「貧農」だという記述は影を潜め、新しい道を切り開く気概に満ちたものになっていく。ところで、實は都部新田のことを「農漁村」と記し、彼らの生活は豊かであると評価している。同時に、沼と共に生きることが自分にとって幸せなことだと日記に記すことによって自覚していく。これは重要な記述であると思う。
しかし、昭和13年の水害によって開墾した水田は被害を受け、その後日秀は畑作と行商中心の生活へと転換し、東京へ移住する者も現われてくる。ところが實は東京で新しい職に就く選択肢を持たず、ここで一家を守っていくことを選ぶ。自分にとって幸福な人生とは何かという前述の日記での宣言が、ここにも反映していると見ることができる。
耕作放棄地などが問題になっている現在、増田實が婿養子などの個人的な変化、水害などの環境的な変化、震災や戦争といった社会的な変化に対し何を自ら選び取っていったかを日記から読み取ることが、自分たちの生活をどうしていけばいいのか自ら考える材料になる。このことをどう次の世代に伝えていくかが課題であると思う。
※ 『増田實日記』は我孫子市史近現代篇別冊として刊行され、我孫子市教育委員会で販売しています。『増田實日記』についてのお問い合わせは歴史文化財担当(電話:04-7185-1583)へお願いします。