企画展『「禅」が結んだ人びと 釈宗演と楚人冠の周辺』
展示期間
令和2年3月10日(火曜日)から5月10日(日曜日)まで
新型コロナウィルス感染症対策として3月24日から臨時休館を実施したため、会期途中で終了。
令和3年10月16日(土曜日)から令和4年1月16日(日曜日)まで
展示概要
禅の普及に貢献した明治時代の円覚寺管長釈宗演。
その宗演に禅の指導を受けた杉村楚人冠を中心に、「禅」をキーに結ばれた人びとを紹介しました。
1 釈宗演という人物
釈宗演は若くして円覚寺の塔頭の住持を任されながら、その後慶應義塾に入学して西洋の学問も学び、セイロン(現在のスリランカ)への留学も経験した異色の僧侶です。
このような素養が、初めてアメリカ人の参禅を受け入れた素地になったといえるでしょう。アメリカ人ラッセル夫人らの参禅中の様子を、弟子の植村宗光の書簡から示しました。
2 釈宗演と楚人冠
楚人冠が釈宗演のもとに参禅したきっかけは、仏教改革運動の仲間の誘いでした。
釈宗演が同じ仏教改革運動の仲間の鈴木大拙が書いた評論を読むよう勧める書簡や、楚人冠の求めで雑誌『新仏教』に寄稿したことを示す書簡を展示しました。
3 漱石の禅、楚人冠の禅
釈宗演のもとにはのちに各界で活躍する青年たちが参禅しました。
その一人で、自分の作品の中に参禅の様子を描いたことで知られるのが夏目漱石です。
漱石が書いた禅の場面と、楚人冠が書いた禅の場面をパネルにし、読み比べていただきました。
4 万国宗教大会とその後
朝日世界一周会 左から三人目の土屋元作を楚人冠に紹介したのが釈宗演
1893年にシカゴ万博に合わせ開催された万国宗教大会は、初めて世界の宗教指導者が集った催しでした。
ここでの釈宗演をはじめとする日本仏教代表者の公演は、大きな反響を呼んだといいます。
その影響で出版されたアメリカの作家ポール・ケーラスの著作と、ケーラスが楚人冠ら新仏教運動の仲間にくれた書簡を展示しました。
また、かつて円覚寺に参禅し、この万国宗教大会で釈宗演と再会した土屋元作を、のちに宗演は楚人冠に友人として紹介してくれます。
この土屋と楚人冠のコンビが、1908年に朝日世界一周会を成功に導くことになります。
5 Zenの普及に挑んだ二人
在米中の鈴木大拙からの書簡
千崎如幻からの書簡
釈宗演は海外での禅の普及の先駆となったといえますが、宗演の弟子の中で、アメリカで禅の普及に貢献した人物が二人います。一人は仏教学者の鈴木大拙です。鈴木は渡米後ポール・ケーラスの出版社に勤め、ここで英語の仏教書を出す仕事をします。その最初の一冊である『大乗起信論』の英訳を出版し、日本に送ってきたころの書簡を展示しました。
もう一人は、アメリカで禅の普及に専心した千崎如幻という人物です。千崎は最初、故郷の青森で経営していた、貧しい子供たちのための私塾の資金を稼ぐため、釈宗演の渡米にあわせアメリカで働きはじめました。しかし、ここで禅の普及に取り組む決意を固め、戦争中の日系人強制収用も乗り越えてアメリカで生涯を終えました。その千崎の、渡米初期の書簡を展示しました。
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